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ハーラル1世 (デンマーク王) : ウィキペディア日本語版
ハーラル1世 (デンマーク王)[はーらる1せい]

ハーラル1世ゴームソン "青歯王"(、 ? – 986年?、ハラルド・ゴルムスソンとも〔『ヘイムスクリングラ(二)』, p.50ほか〕)は、デンマーク(在位:958年? – 985年?)。
父親はデンマーク王ゴーム、母親はテューラ・デーネボーズ。
ノルウェーとデンマークを無血統合した。ザクセン公家のデンマークへの政治的侵入を受け、960年ごろに洗礼を受けてキリスト教を受け入れた。ただし、948年にはシュレースヴィヒリーベオーフス半島3都市に既に司教が任命されていたらしい。
"Bluetooth"(“青歯王”)の異名を持つが、これは"Blåtand"("blå-tand"、古デンマーク語で「浅黒い肌の英雄」)を英語に音訳したものである〔Korak Dasgupta History of Bluetooth , 2010年12月15日閲覧。〕。
デンマークとノルウェーを交渉によって平和的に統一した事績にちなんで、複数の電子機器をつなぐ通信技術のBluetoothの語源となった〔BluetoothFAQ 〕。
世界遺産イェリング墳墓群には、ハーラルによるデンマークの統一、ノルウェーの支配、デンマークのキリスト教化という三つの功績を記したルーン石碑がある〔小澤 (2012), pp.54, 57-58〕。
== ハーラルのルーン石碑と事績 ==


イェリング墳墓群には、ゴーム老王が妻テューラを記念して建てた第一イェリング石碑(ゴームの石碑)とハーラルが両親のために建てた第二イェリング石碑(ハーラルの石碑)がある。ゴームの石碑は高さ139cmの直方体で目立った装飾もないが、併置されたハーラルの石碑は高さ243cmの三角錐型で、碑文に加えスカンディナビア最古のキリスト図像と"イェリングの獣"と呼ばれる獣の図像が彫られており、これらの図像は当時おそらく彩色されていた〔小澤 (2012), p.54〕。これら二つの石碑は、16世紀に土中から発見され墳丘の間に設置されたため建立当時の正確な位置は不明関係だが近接した場所から発掘されており、当時の人々に対しても素朴なゴーム石碑と対比させることで自身の権威や、デンマークがキリスト教国家であることなどを確認させる機能を持たせていたものと見られる〔小澤 (2012), p.55〕。
ルーン文字
400px
デンマーク語
: ''(A面)''
: haraltr : kunukR : baþ : kaurua
: kubl : þausi : aft : kurm faþur sin
: auk aft : þąurui : muþur : sina : sa
: haraltr (:) ias : sąR
* uan
* tanmaurk
: ''(B面)''
: ala
* auk
* nuruiak
: ''(C面)''
:
* auk
* t(a)ni (
* karþi
*) kristną
: (Jacobsen & Moltke, 1941-42, DR 42)
日本語訳
: 「王ハーラルは、その父ゴームと母チューラを記念してこの碑を建てるように命じた。 これなるハーラルは、全デンマーク、そしてノルウェーを手中にし、デーン人をキリスト教徒となした。」〔小澤 (2004)

ハーラルはシェラン島スコーネ地方といったデンマーク東部もその支配下におき、ノルウェー北西部の在地有力者であるラーデのヤールたちと手を結んでノルウェーにもその影響力を及ぼし、デンマークの統一、ノルウェーの支配、デンマークのキリスト教化という三つの功績をルーン石碑に刻んだ〔『デンマークを知るための68章』, pp.140-141〕。
この他、デンマーク南の境界線となるダーネヴィアケ堡塁 の補修作業、直径100 - 200m のトレレボー円形要塞 や、幅 5m 長さ 760m のラウニング・エンゲ橋 の建設などがハーラル治世に同定されており、ハーラル王権の強大さを物語っている〔。
晩年、息子のスヴェン(後の双髭王)が反乱を起こし、987年、スヴェンによってユムネ(Jumne)に追われ、戦いに破れて傷を負い、逃げ込んだ森で死んだ〔〔ヘルムス『歴史教科書』, p.67〕。遺体はロスキレの教会に運ばれ、キリスト教の作法で葬られた〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ハーラル1世 (デンマーク王)」の詳細全文を読む



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